"劣化版"ROOKIES —李闘士男監督「ボックス」

先日、市原隼人高良健吾のダブル主演の映画「ボックス」(李闘士男監督)を見てきてました。

百田尚樹の同名の小説が原作、そして製作はTBS。
部活動を通して成長するヤンキーチックな高校生が描かれる「ルーキーズ」的<友情・成長ロマンストーリー>の出来上がり!!
的な感じを想像してました…。

ここで物語のあらすじを超マッハで伝えます。


(※ネタバレ注意!!)

1.超優等生のユウキ(高良健吾)が電車内で不良にからまれているところを、ボクシング部のエースで多少ヤンキー仕立てのカブ(市原隼人)が救う→実はユウキとカブは幼馴染みで小学生時代以来のの再会であり、そして偶然にも同じ高校に通っていたことが判明

2.カブに勧誘され、ユウキがボクシング部に入部→練習の虫と化したユウキはみるみる強くなり、他校のライバルにボコボコにされた市原隼人を尻目に新人戦優勝

3.カブ、グレて部活を辞めEXILEみたいな頭になる=多少荒れる→カブの彼女候補と思しきマネージャーの——何の脈絡もない——突然の病死や、ユウキがライバル戦に向けて猛特訓しているのを受けて、カブは部活復帰=更正しユウキの猛特訓のお手伝いタイム

4.猛特訓実らずにユウキ、ライバルに惜敗→カブ、ユウキの敵討ち=リベンジを果たしライバルに勝利して友情はマックス!(終)

(※ネタバレ終了)


まあ大方の想像通り、ストーリー展開の基本線は部活動を通した成長を描く、ルーキーズ的——元を辿ればウォーター・ボーイズ=アルタミラ・ピクチャーズ的——<成長・友情ロマン>モノでした。そしてこういう話、個人的にあまり嫌いではない。

けれども、彼女候補の病死を通して更正してみたり、昔ながらの下町商店街の風景を散りばめてみたりなど、随所にセカチュー的<恋愛ロマン>要素や、Always的<ノスタルジー>要素を、浅ぁく、薄ぅく、軽ぅく取り入れていて、特に中盤あたりのマネージャーが死ぬくだりでは「いや、絶対にマネージャー死ぬ必要ないだろ?」と嫌気がさしてしまいました。
それとも、男と男の熱い友情関係に女子は立ち入り禁止!!的なホモ・ソーシャル全開なノリでマネージャーを還らぬ人にしてしまったのでしょうか?
いずれにしてもあのくだりは残念でした。


要は世間で受けているストーリーのプロットをデーダベース的に、大した脈絡もなくポコポコ組み合わせるだけじゃ、そりゃ作品は成り立ちませんよな、という当たり前のことを改めて学んだのでした。


ボックス!

ボックス!

虚構・または真実・そして<生> —フィリップ・K・ディック著『ユービック』

ブログ開設したのはいいけど、初っ端何書こう?
とか思っていましたが、さっき読み終えたばかり、読了ホヤホヤのフ フィリップ・K・ディックSF小説『ユービック』(ハヤカワSF文庫、浅倉久志訳、1978年)について書いちゃおうと思います。

何を隠そう、僕はディックの大ファンでありまして、部屋の本棚には15冊も彼の小説が並んでいるのです!
そんなディック狂い(?)の僕ですが、ファン歴はごくごく浅く、そもそも彼の小説を初めて読んだのは昨年の秋頃なので(確か『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』でした)、考えてみれば、まだ衝撃の出会いから1年も経ってないんですね。

そんなんでディックファンを名乗るな!と、年季の入ったディックファンの方々にはお叱りを受けるかもしれませんが、そんなわけで、今回、この『ユービック』初読でした!

読了後抱いた感想は、This is Dick!! これぞディックの小説だ!というものでした。
ディックの他の作品に比しても、非常にわかりやすく読みやすい内容であり、初ディック用=ディック入門としてもオススメです!
また、ディックのほとんどの小説に一貫して見られる問題系、<私の見ているこの世界は虚構なのではないか?>といったような、若干カルトがかった問いかけが『ユービック』においても見受けられます。

今更ですが、ここで『ユービック』のあらすじを軽く紹介しておきます。


(※これから読むという方は、読み飛ばしてください=ネタバレ注意!)
舞台は1992年のニューヨーク。予知能力者らの超能力者たちから人々のプライヴァシーを守るべく設立されたランシター合作社の社長ランシターと、主人公ジョー・チップら反予知能力者たちがルナ(月)に、予知能力者をハントすべく向かいます。
しかし、ここルナで予知能力者による爆弾テロが起こり、社長ランシターは殺されてしまいます。
この事件を契機に、地球では、あらゆるものが驚くべきスピードで退化していく<時間退行現象>がはじまり、なんとか無事に地球に返還したジョーは、この<時間退行現象>に巻き込まれてしまいます。
退化が進んでいき(?)とうとう1939年まで遡ってしまった世界の中で、同僚たちは次々と疲れ切り死んでいってしまい、ジョーにも死の危機が…。

しかしそんな中で、トイレの落書き、テレビコマーシャル、警官の通告書などを通じて送られてくる、かのテロ事件で死んだはずのランシターからのメッセージを通して、ジョーは、実はかのテロによって殺されたのは自分たちであり、唯一生き残ったランシターが、彼ら部下たちをなんとか<半生命状態>(死後、冷凍保存されることで死の瞬間が先延ばされる状態)にとどめるべく、チューリッヒの安息所でずっと彼らに呼び掛けていたという事実を知ります。
また、同僚たちを殺していたのは——当初疑われていた同僚の一人である時間逆行能力者パット・コンリーではなく——、ジョリーという予てからの<半生者>の少年であったということも、ジョリーとの直接の会話によって知るようになります。
そして、こちらも予てからの<半生状態>のランシターの妻エラとの遭遇などを通して、退化現象を矯正することのできる<ユービック>というスプレーを手に入れることができ、ジョーはなんとか無事に生きながらえることができるようになります。

これで、ハッピーエンド=チャンチャン!
とはならず、最後の章では、ジョーの無事に安堵したランシターの世界=生者の世界においても、<退化現象>がはじまっていることを示唆する描写で物語は締めくくられます。
(※以上、あらすじでした=ネタバレ終了!)


以上が、『ユービック』の大まかな内容です。

先述した<私の見ているこの世界は虚構なのではないのか?>という、ディックの小説の根底に流れる問題系に話を戻すと、この『ユービック』にも、やはり、その問いかけが見られます(2回目!!)。
月での爆発テロから物語中盤までは【自分の生きている世界=<通常世界> 対 ランシターの世界=<死後世界>or<半生命状態>】という構図を前提として話が進みます。しかし物語後半で、この構図が【ジョーの生きている世界=<半生命状態> 対 ランシターの生きている世界=<通常世界>】というように逆転し、読者は、物語中盤まで右往左往していたジョーの行動が、<虚構の世界>における行動であるかのような印象を受けます——そして最後のオチで、「結局全て<虚構>やったんや\(^O^)/」状態突入です——。

このように、<虚構の世界>こそ主人公にとっては<真の世界>である、というねじれた図式・構図は、ディックの他の小説にもちょいちょい見られるもので、これの背景にはやはり<私の見ているこの世界は虚構なのではないのか?>(3回目!!!)というディック自身が抱えていた問題意識があるのではないか、と思います。


そして、退化現象が進み、半生命状態の中で繰り広げられる<真の・虚構の世界>においても、生きていく気持ちを捨てずになんとか前進していく、そんなジョーにミメーシス——ちょっと大袈裟か?(笑)——を感じる今日この頃です。


ユービック (ハヤカワ文庫 SF 314)

ユービック (ハヤカワ文庫 SF 314)