ほんの少し間に合わないことの"切なさ"について —是枝裕和監督『歩いても 歩いても』

先日レンタルしてきた是枝裕和監督・脚本の映画『歩いても 歩いても』(2008年)を見ました。是枝作品は『誰も知らない』(2004年)に続き2本目です。

この『歩いても 歩いても』。とってもいい作品でして、思わず2日連続で見てしまいました(そして2回目の方がより楽しめました!)。

そこで今回レヴューというか批評というか、まあ感想的なものを書きたいと思います。



まずは、超簡単なあらすじの紹介から。


夏の終わりに、横山良太(阿部寛)は妻ゆかり(夏川結衣)と息子あつし(田中耕平)と一緒に元開業医の父(原田芳雄)と母(樹木希林)のもとへ久しぶりに帰郷します。元気いっぱいの姉(YOU)一家も両親の家に訪れ、家族で久しぶりの時間を過ごします…。
作品の中で終始展開される極めてリアルでかつ自然体な会話から、横山一家の各々の人間性や過去、現在、そして家族間の微妙な関係性といったようなものが見えてきます。
そして、帰りのバスの中で、母が思い出せないと言っていた相撲取りの名前を思い出した良太が一言。


「いつもほんの少しだけ間に合わないんだよな。いつもそうなんだ。」


これといって強いストーリーのない、どこにでもいそうな家族の姿を描いたこの作品を一言でまとめてみました。そんな言葉です。




次に、『歩いても 歩いても』見て何を感じたか、ということについて2点述べたいと思います。

まず1点目は、役者の方々による自然な演技についてです。

僕が役者の演技について語るのは100年早いなどということは重々承知の上で言うと、皆、何気ない会話を何気なく演じていて素晴らしかったです。
原田芳雄さんと樹木希林さんの夫婦役はホントにハマっており、特に、樹木希林さんの、老いを感じさせる何気ない表情には思わずホロリときてしまいました。
阿部寛さんと夏川結衣さんは(『結婚できない男』以来大ファンなのですが)やっぱりいいコンビです。阿部寛さんが"普通の"役、変人じゃない役を演じているのが逆に新鮮でした(笑)

基本的に家族間の会話に焦点を当てるこの作品において、ストーリーに"厚み"を持たせたのは、演出家の技、背景に流れる音楽、カメラワークはもちろんのことですが、個々の役者の繊細な演技だったのは指摘するまでもないでしょう。キャストの妙というヤツですね。


2点目は、この作品に終始つきまとう"切なさ"についてです。もっと詳しく述べると、<「歩いても歩いても」決して縮まることのない差異が織り成す関係性>=<「ほんの少しだけ間に合わない」関係性>がもたらす"切なさ"についてです。

久しぶりに集った家族間で交わされる日常的な会話や表情から窺い知ることのできる微細な"ズレ=差異"。そして、決して埋まることのないその重層的に形成された微細な"ズレ=差異"が生み落とす、何とも形容しがたい"切なさ"。
もちろん、その"ズレ=差異"が"おかしさ"と成るシーンもあるのですが、その"おかしさ"もどこか"切なさ"を伴う両義的なモノでした。


きっと誰もが抱いたことのあるこの気持ち。"切なさ"を、今回この映画を通して再び感じたのでした。



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